その→| 10111213141516自転車資料


【サンツアーの全て】

その2 「前田工業 2」

テケテケテーのエレキギターブームからグループサウンズに移行してゆく昭和40年代、自転車の世界では特記するような事は何も無かった・・・・そうだったっけ。

昭和40年代は日本の各企業が海外市場に進出を始めた事を思い出してください。前田工業もアメリカ市場に進出・・・ではないのかも・・アメリカのバイヤー達が日本に部品調達に訪日したのです。

日本のサイクリングブームが終焉を迎え、サンコー舎の廃業と言うショックをうけてどこに活路を見出すか、そんな時にこれは有り難かったようです。ただ、ハイエンドの製品はヨーロッパ製、普及品が欲しいと言うバイヤーの要求と、日本市場での通学車とジュニアスポーツ(!!おもちゃ満載、フラッシャーだディスクブレーキだラジアルタイヤだコンソールシフトだ)需要の増加で変速機本体の高性能化はやや物足りない感じでした。

そこに出てきたのがコンペの発展形サンツアーV(ブイ)です。高性能軽合金製、一部鉄製でレース用とツーリング用の二本立て・VとV−GT・です。待望の新製品でした。(詳しい話はその3で)
ちなみに、コンペはレーサー用トップノーマル,グランプリは旅行用ローノーマルアウターを止める位置がパンタアームの外側か内側かで動作が決まっていました。このころはまだテンションスプリングがむき出しで残念ながら信頼性の低い物でした。軽合金鋳物の本体も割れ易く、諸先輩からさんざん脅かされました。

そのためBSの本格的ツーリング車(キャンピング)DC−15にはフランス・ユーレー社製アルビーが使われていました。ところが前はサンツアー・スパート(パンタ式)なのです、トリプルギヤを変速出来たからです。(申し訳有りません、スパートの発売が何時であったか知らないのです、どなたかご存知でしたらご教示ください。このころはブレーキで有名な吉貝もダイヤブランドでスライドシャフト式前変速機を発売しておりましたですね、サンプレに似ていた記憶が有ります。

通 学 車?

昭和40年代前半のBSのカタログには珍妙なスポーツ車が有りました。通学用自転車の変速機規制対応車 です。何のことか判りますか? シングルギヤでは無いのです。

変速機の付いた自転車はとてつもないスピードが出せるであろうから通学には不適当で有る、事故の原因になるに違いないから規制してしまえ。と言うのが表向きの理由・・・・・・自転車を知らない教育委員会の議員は騙され易い連中だと良く分かりますな。教育委員会が決めた事とは言え提案は別な逆賊どもによってなされたのですから。で、本音は変速機が付くと価格が数千円高くなるので不愉快で有るから、と当時のPTA向けの雑誌に掲載されておりました。(学校の図書館のPTA向け書架に有りました。)

変速機規制対応車とは勿論変速機は付いて無いのですがなんと、マルチプルフリーホイール(5段ギヤ)は標準装備なのです。変速機とレバー(当時はバンド絞めのみ)を後付けし、短いチェーンを継ぎ足せば標準車に変身するわけです。確かに2500円程度安かったのです。

そんな時代ですから通学車にドロップハンドルなんて気絶ものでした、「君は競輪選手になる気なのか」と真顔で尋ねる教師もおりました、そんな教師に限ってドロップバーの下を握るのですから相当授業料を日自振に払った結果なのでしょうね。

これら通学車にも変速機をとの市場ニーズに応えるために価格の安い変速機の開発が行われました。全鉄プレス製のオーナー、ヒーローです。各部の寸法は軽合金製のVと同一でしたがテンションスプリングの防水カバーが簡易型に成っていました。

その3に続く


その→| 10111213141516自転車資料